下之町の祇園祭の変遷は、上之町、中町とさほど隔たりはなく、特筆すべきは戦前、戦後の一時期曳き手不足を補うため、また下之町は地形的に本町通り一番低い位置にあるため、牛に山車曳かせていたことである。現在の山車は、昭和48年(1973)渋川市寄居町の大工により制作したもので、近年多くの町内が山車を新造することとなるが、沼田の山車新造の一番手、火付け役が我が町内である。
下之町のお囃子は、盲目の名人と言われた曽田巻治氏によって伝承され、遠田平次氏、藤田久次氏、番場八護郎氏が受け継ぎ、現在へと伝えられてきた。